Think positive, act positive | MS vs googleの戦い、か?

面白い。自分の目の及ばない事ってどうしてこんなに面白いのだろう。

リンク: Think positive, act positive | MS vs googleの戦い、か?.

MS vs googleの戦い、か?
ゲームのルールについて考えた。梅田さんのところで、MS vs googleの戦いがなんである(あった)のかについて、mixiの日記に以下の文章を書いた。

梅田さんの方はいくつかの記事をベースに考察がなされている。

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050506

私個人には、企業間、それも、いまもっとも激しい動きをしている世界的なIT企業の事業モデルをめぐる戦い、という風に読めている。この記事の中で私が感じるのは、事業モデルとは実に扱いがむずかしいものだ、ということ。難しさの源泉は、「慣性の法則」にあるのではないかと思った。

ソフトを開発し、ある程度のパッケージ化をし流通させる、というモデルでは、マイクロソフトLinuxはある意味、同じモデル上にある。開発をだれがどういう対価でやるか、というプロセスはまったく異なるが、純粋なユーザーだけに絞り込み考えてみると類似点は多い。そして、それだけに、排他性も高い。排他性とは、LinuxベースのサーバとWindowsベースのサーバは一台としては両立しない、ということ。個人が実験用にOSを切換ながら使う局面はあるけど、「うちのサーバは、月-金はLinuxで、土日はWindows」なんて稀有だろう。

勝敗条件。
運用も含めたトータルコストやセキュリティも含む品質向上を目指し、そのコストパフォーマンスで競争相手を圧倒していくモデル、とでもいうか。

googleはこのモデルの圈外にある。
ソフトを開発するのだが、基本的には単独で流通可能なパッケージ化をするわけではない。検索というサービスを提供し、人々の疑問に回答を与えていく。それも、自分で回答を書くのではなく、人々の作成した回答を探しやすくするだけのサービスだ。

そして、事業モデルには「慣性の法則」が働く。いったんあるモデルを採用し企業経営がスタートすると、別のモデルに変更することがとても難しい。だれからお金をもらうか、いくらもらうか、どこから人を採用してくるか、組織内での技術やルールの継承をどう行なうか。舌足らずだが、こんな課題が事業モデルの中核をなしていると考える。

一般的な企業間の競争では、事業モデルのほぼ同じ企業同士が戦いあう。我々が日常的に見ているライバル企業同士は、ほぼ事業モデルが同じだ。顧客、商品、技術、人材、商圏など、重なりが極端に多い。

ところが、マイクロソフトvs googleでは、違いのほうが圧倒的に目立つ。ブツとしてのソフトウェアがマイクロソフトの商品だとすると、googleにはブツがないように見える。

ブツの有無が特に重要で、この二社の相互関係の特殊性を際立たせている。一見、相互関係のない、お互いに競争することがなさそうな二つの領域が、なぜ、いま、衝突しているかのように語られ始めたのか。

googleIPOまでの第一段階
ブツを売らないgoogleが、どんなに際立った検索エンジンサービスを開始したところで、マイクロソフトにとっては、競争相手とは見えていなかっただろうと思う。

なんか変なやつがいる、とは思っても、事業モデルが異なり、ゲームのルール(ここの事業における勝利条件)が違う(ように見える)。マイクロソフトの社内では、論理的に、googleが脅威であることをまわりに説得できないし、対抗するための具体的な方法論さえ、事業モデルが違うため、容易に作れない。こういう事情が初期段階ではあったのではないかと想像している。

マイクロソフトの立場を想定してみよう。
歴史あるマイクロソフトでは、その成功の実績に比例して、事業モデルにおける「慣性の法則」が働いている。基本的に、OSを基軸とし、アプリケーションまでなし崩し的に展開されていくOEMでの急拡大とパッケージ販売を狙ったモデル、である。googleをあえて正面から攻撃しようとすると、いままで自社が作ってきた事業モデルとは矛盾した事業を、損を覚悟で長く続けるしかなくなる。競争相手と戦うために、あらたに勝利条件を引き直すと、たいていの企業は求心力を失う。

一銭もお金が入ってこないのに膨張を続ける検索エンジン、というものも意味不明であったろう(いまでは広告収入があるが)。実際、マイクロソフトからはそう見えていたために、googleはその成長期で横やりを入れられることがなかったと思われる。

(1)資金が続かず途中で消えてなくなる
(2)古典的な事業を営んでいる別の会社に吸収され、当初は人集めや広告ツールとして使われるが、やがて母体企業の事業モデルとの矛盾点/突出点が目立ち始め、部門解散となったり、部門売却となる

実際、検索エンジンの中には、そうした運命をたどったものがいくつもある。なぜそうならなかったのかが、ここでも大きなカギとなるのだが、ここは梅田さんの方がたぶんどこかにきっちり書いていそうだから先を続けよう。

マイクロソフトgoogleは、いまやお互いに、競争相手として相手を認識し、相互に対抗策を繰り出す関係となった。ただ、このときも、不思議なことが始まっている。マイクロソフトgoogleと類似のサービスを起こそうとしているが、googleはGoogleOfficeをパッケージ化して出荷することは当面なさそうだ、ということ。

googleがやろうとしていることは、マイクロソフトには絶対にできそうにないことばかりだ。徹底的に相手の利益分野をダイレクトにヒットすることを避ける。これは極めて特殊な方法だ。相手側の事業モデルの空白の部分にだけ集中する。それを、エンドユーザー側にはほとんど無料の形で、一気に地球上の人に向けたサービスとして一般化し提供していく、ということ。Linuxをベースにした並列処理エンジンであるgoogleOSと、圧倒的な帯域を持つネットワークを基礎にして、世界規模で高速にサービスを提供していくこと。

最近、マイクロソフトは国内でのTV CMでも活発な動きを始めているが、googleはこの先も、そんな広告をうつことがないのだろうと想像する。


では、マイクロソフトgoogleの重なりあうところ。

それは、顧客とその人が持つ利用可能な時間だ。マイクロソフトOfficeを使う人は、たぶんgoogleを使って資料を集める。仕事の中を大きく占める計画/立案や報告。時間は限られている。

コンピュータが無かったころは、人は、たぶん、レポート用紙や原稿用紙などに向かって仕事をしてきただろう。用紙の売上は、コンピュータの登場によって圧倒的に減少したはずだ。プリンタ用紙の消費はのびたはずだが、手書き専門のレポート用紙や原稿用紙は、一気にその市場を失った。

しかし、用紙業界の人は、コンピュータにやられた、とは思っていなかったはずだ。「なんとなく減っていった」ということ。しかも、当初のコンピュータは、かな漢字変換さえ満足にできていなかったわけで、当初は警戒の対象ですらなかった。逆に、プリンタ用紙が売れていいな、と用紙業界の人はだれもが考えただろう。

自社製品の顧客が、自社製品のレポート用紙の代わりに、ワープロやパソコンの画面に向かって仕事をしているのだ、というとき危機感を感じるのは難しい。ワープロやPCのメーカーでさえ、製紙業界のある事業を競争相手と考えたことさえないはずだ。ただ「うちの製品が伸びると、向こうは消えていくな」と思ったことはあるだろう。

そんなふうに、「ひそかな競争」は、ゆっくりと、確実に、深化していくのだが、逆に、レポート用紙を販売する側にはどんな対抗策があったのだろうか。製紙会社はたぶんプリンタ用紙の販売にシフトすることで正面衝突をしなかったはずだ。競争相手が登場した、とは認識されず、「顧客ニーズが変化してプリンタ用紙の売り上げが伸びた」という風に解釈されているだろう。製紙会社は、紙という素材の用途変化に追随して、PCやワープロとの正面衝突を回避した。ある意味、幸福な例なのかもしれない。

印刷分野はどうなのか。
ここでは、製紙会社の場合とはまったく様相が異なる。PCやワープロの活用によって、印刷のニーズは急激に落ち込んでいる。資本のバックボーンの大きな大手企業では、同じ印刷技術を使って、半導体製造の領域まで守備範囲を拡げているし、企業webサイトの構築を手がけたり、パッケージング、広告制作、編集企画などの周辺分野に乗り出すだけでなく、印刷の本業でも、プリンタでは表現の難しいカラー等の特殊印刷や大量印刷をその利益の源泉として生き延びている。しかし、昔からの印刷会社は、固定費の少ないフットワークのある会社以外、廃業/転業の状況だ。

マイクロソフトgoogleの話に戻ろう。

ここでの競争はまず、人材の奪い合いが始まっているらしいこと。梅田さんの記事にはそう指摘してあった。トップレベルの人材が、マイクロソフトからgoogleへ移籍しつつあるらしい。有名理系大学の出身者たちの状況も、たぶん似たようなものだろう。

顧客レベルではどうだろう。
いま私は、mixiの入力画面にダイレクトに文字を書いているわけだが、書くきっかけ自体はblogから。そして、もうひとつは自分の頭と、もうひとつは、書かずにはいられない奇妙な感情。

んと、これはあまりサンプリングとして一般的ではない。もっと一般的な人を想定すると、googleで情報を検索し、事実を確かめ、周辺情報を集め、整理して、wordやpowerpointに情報を貼り付けるところから始める、のかな。

万一、googleが、Officeツールそのものをweb経由もしくはその他の手段で提供するサービスとして開始したら、そこでマイクロソフトとは完全に離脱した世界が始まる。

いや、わざわざgoogleが最後の一手を自分の手でうたなくても、他のだれかがやればいい。OS領域での独占的シェアがあるうちはこんな事態は発生しないだろうと思うのだが。

株式上場で圧倒的な資金を手にしたgoogleでは、その資金で実現できそうな領域が増えたはずだ。しかし、彼らは、絶対に、「マイクロソフトが占有していると自覚している領域」には踏み込まない。

OS販売の領域には踏み込まない
Office製品の領域には踏み込まない
ブラウザの領域には踏み込まない(ただし、例外を除く)


マイクロソフトの検索エンジンに半ば強制的に行かせてしまうOS内蔵のブラウザが登場すると、この均衡は壊れる。こうしたオプションは、すでに内部的には検討されているだろうし、googleも、マイクロソフトほどの会社になれば、そういうオプションを挙げてくる企画担当者がひとりぐらいはいることが容易に想像できる(想像です、いや妄想。まったく根拠ないので)。

ありうるとすれば、このとき、対抗策としてgoogleブラウザが出てくるのではないかと思う。このgoogleブラウザは、文字を検索できるだけでなく、画像検索や、場合によっては欠けているキーワードを補足して正しい情報に誘導するような、人口知能的なコンセプトリンクを持ったものになるのではないだろうか(まったく無責任な想像だが)。コンセプトリンクは、複数の単語のセットからなり、欠けている有力キーワードを自動的にユーザーに指し示すような機能だ。

「ほら、アレ。えーとなんだっけ」機能とでもいうか。 しかも、googleブラウザは、gmailとも簡単に連携できる、なんて想像する。

なんだかだんだんホラ話の域に入ってきたみたいなのでもうやめるけど。

結論として何がいいたいかというと、
「敵は敵として見えて来るのではなく、無関係なものとして登場してくる」。
対応の方法としては、
「敵を敵として扱う」だけでなく、「相手を変えたり、自分を変えたりして、共存・融和の道をとる」という方法もありうるということ。
そして、「大きくなればなるほど、古くなればなるほど、この自由度は、慣性の法則によって阻害されることがある」ということ。

個人の場合でも、ひょっとすると似たようなものかもしれない。ここから先は、脳内mixiでひとりごと。

あ、犬の散歩にいかなくちゃ。